■“人のつながり”で初期消火に成功
阪神・淡路大震災では、“向こう三軒両隣”の重要性が再確認されました。中でも30年間にわたって住民主体の「まちづくり」を推進してきた神戸市長田区の「真野地区」(面積約40ha、人口約4,800人)の対応は、全国から注目を集めました。
真野地区は、商店や工場と住宅が混在した典型的な下町地区です。老朽長屋住宅が多く、家屋の倒壊・火災の危険性は決して低くはありませんでしたが、まちづくり活動で培われた“人のつながり”が功を奏し、住民のバケツリレーや地元企業の消防隊の出動で初期消火に成功、建物の焼失を最小限にくい止めました。火災被害の大きかった長田区では、延焼によって街区の殆どを焼失してしまった地区もある中で、真野の初動対応は注目されました。
■全住民に物資を均等配分するしくみを整備
さらに、真野地区のこうした「地域力」は、発災直後の救命・救出、初期消火にとどまらず、長期化する避難生活の中でも発揮されていきました。小学校など大勢の被災者を受け入れた避難所では、避難者のまとまりができるまでに、かなりの日数を要していたことが報告されていますが、その中で物資や食料の配布も無秩序に行われることが多かったようです。こうした不均等な配分は、避難者同士のトラブルの原因になりやすく、避難生活上の大きな課題となっていました。また自分の足で物を取りに行きにくい、または長時間行列に並ぶことができないお年寄りなどは、我慢を強いられがちな状況にありました。
他方、真野地区では、発災後3日目、真野小学校(避難所)に、地区内にある16自治会と避難所を束ねた独自の「災害対策本部」が設置され、避難所に入っている/いないにかかわらず、地区内のすべての住民に対して、物資が均等に配分されるような「しくみ」が整えられていきました。当時、行政(長田区役所)からの緊急物資は、個々の避難所に直送されていましたが、真野地区では、区役所に対して、「真野地区災害対策本部」が一括して住民5,000人分の緊急物資を受け入れることを認めさせました。そして対外的な窓口を一本化する一方、地区の内部では「本部」-「自治会」-「班」-「家庭」というルートで、すべての住民に物資が行き渡るようなしくみを整えていったのです。真野地区の災害対策本部の活動は、避難所が閉鎖される8月末まで行われ、その後、復興に向けたまちづくりについては「真野地区復興・まちづくり事務所」へと引き継がれていきました。
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