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4-4 訓練方法




コラム 過去の火災事故事例

19世紀後半以降欧米では、一度に多数の死者を出す大規模な火災が、劇場、工場やオフィスビル、ナイトクラブなどにおいて多発してきました。日本においても、都市化が本格化し、また中高層のビルが建てられだした1960〜70年代に、ビル、旅館・ホテルなどの火災が頻発するようになります。このような歴史を経て、耐火対策を施した建築のあり方や避難路の確保、災害時における避難行動の研究などが進みました。そして様々な基準・法整備・技術開発がなされる中で、火災報知機、スプリンクラーなどの設置も進み、防火基準適合表示制度(「適」マーク)も生まれました。つまり、過去の多くの犠牲者の上に、現在の防火への取り組みがあるのです。


スーパー長崎屋尼崎店火災

1990年3月18日(日)に起こった、兵庫県尼崎市の、スーパー長崎屋尼崎店における火災では、死者15人、負傷者6人を出しています。正午過ぎ、4階のインテリア売り場付近から突如出火し、鉄筋コンクリート造り地下1階、地上5階建ての同店舗の4階部分約814m2をほぼ全焼しました。当時、店内には数百人の客・店員がおり、出火階である4階にいた客と店員ニ十数人は、店員の誘導などに従って階段から避難、3階以下の客と店員も無事に避難しています。ところが、延焼はしなかったにもかかわらず、すぐ上の5階の店員食堂・ゲームセンターなどで12人の店員と客3人が煙に巻かれて死亡。また5階から飛び降りたり、煙に巻かれながら、かろうじて6人が救出されました。出火の原因は、放火と推定されていますが、犯人は検挙されていません。この火事は、煙の上方向への移動スピード、一酸化炭素中毒の怖さを端的に示しています。また防火戸の維持管理や避難誘導訓練などが十分に行われておらず、店側の防火責任が問われました。


超高層マンション火災

1989年8月24日午後3時50分頃、東京都江東区南砂の28階建ての超高層マンション(259世帯入居)の、24階の一室から出火。24階の住宅・廊下部分合わせて約160m2を焼き、6人が負傷したものです。出火点の24階は約60mの高さにあり、はしご車が届かなかったため、消火活動は出火階下の23階を拠点として消防資機材を非常用エレベーターで搬送し、建物内部の連結送水管を使用して行われました。延焼がくい止められたこともあって、火災は一区画を焼いたのち、約3時間後に鎮火しましたが、24階より上階では幼児を含む6人が煙によって避難できずに取り残され、レスキュー隊によって救出されています。
これは日本の火災史上、最高階での火災でした。連結送水管、非常用エレベーターなど、防災対策上高層ビルに設置が義務付けられている装置の効果が確認された一方で、法律に基づく消防用設備は完備されていたものの、住居用スプリンクラーが設置されていない、排煙設備・非常放送設備を管理人がうまく使用できなかったなど、多くの問題も明らかになりました。近年ぞくぞくと超高層マンションが建設されていますが、この火災は以後の防災対策に多くの教訓を残したといえます。

【参考資料】
・『災害・事故事例事典』災害情報センター編(2002)丸善
・『火災と建築』日本災害学会編(2002)共立出版
・『世界の高層・超高層・超々高層ビル火災〜その実態と防火・避難対策』森田武著(1998)近代消防社