阪神・淡路大震災で全焼の被害を受けた、神戸市長田区御蔵5・6・7丁目地区では、地区が焦土と化した中で、被災当日住民自身による炊き出しが行われました。そのような体制がとれたのは、地区の中央にある小さな公園に設置された地区の「子ども会」の倉庫(コンクリート製)が焼けずに残っていたため、夏祭りなどで使用していたコンロ・釜・なべなどが無事であったこと、そのすぐ横に倒壊しつつもかろうじて燃えなかった米穀店があり、この米を使用できたこと、なによりも普段からの地域のつながりが強く、お祭りやハイキングを通じて炊き出しなどの共同作業にもよく慣れていたことが挙げられます。
ちなみにこの地区では、女性を中心に炊き出しを行う一方で、男性を中心とした防犯会のメンバーが、周辺の救助活動や交通整理にあたるなど、予測をはるかに超えた状況にあっても、すぐに協力し合い、事態を乗り越えるための行動に移っています。互いに地域の事情をよく知っており、住民の地域への愛着が深いこと、そして長年の間常に自立的に地域活動を担ってきた誇りをもっていたことが、これらの迅速な行動に結びついたと言えるでしょう。 (ヒアリングより)
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