会長 瀧川 智代美
5月14日 奇しくも「熊本地震」発災1ヵ月後に、大分の甘夏を車に積んで、同クラブ員と2人で熊本県へ向かいました。
大分県から阿蘇市に入ると屋根の上にたくさんのブルーシート。そして家屋・ブロック塀・道路の破損。それから2時間弱で益城町へ。
破壊の凄さに唖然!!道路の地割れに気付かないで車を走らせると、車中で跳ね上がります。急ブレーキを踏みながらの走行でした。
4月14日に起きた地震の震源地近くにある益城町が熊本県女性防火防災クラブ連合会 冨田会長の地元ということで、隣の県なのに行けなくて、ずっと気になっていましたが、週1回位、電話では様子を伺っていました。
やっと冨田会長たちと合流。元気な姿を拝見して安心しました。
会長、田中副会長に歩いて被災地を案内していただきました。2階住宅の1階が潰れているのを始めて見ました。人が近くにいないか気にしながら写真を撮りました。
2階住宅の1階が潰れている家屋
倒壊した家屋
益城町文化会館は地盤が沈んで建物の角が浮いている状態。横の地面は長くヒビ割れ。全壊したお寺。益城町で一番大きな由緒ある木山神宮も屋根瓦だけがきれいに残っているだけでした。
生協の炊き出しテントの前を通りましたら、"どうぞ!"と声をかけられましたが遠慮していると、会長達が味見をしたらいいと仰るので、結局トマトリゾット(日本版 おじや)をいただきました。美味しかったので、作り方を習いました。他にはゆで玉子、レバ煮、おひたし(小松菜・春菊)。おひたしはすぐに無くなったそうです。
全壊した専寿寺
屋根だけになった木山神宮
井手校長を囲んで冨田会長が避難されていた広安西小学校へ
会長が"ここの先生方は立派だった"と、とても褒め称えていました。
広安西小学校 井手校長と話すことも出来、先生は防災の勉強をされていたのですか?とお尋ねしたら「全然してません」と苦笑い。
それでも小学校職員10人体制で避難所を運営され、トイレの掃除も先生達がしているとのこと(トイレ、朝4時から並んでいるのだそうです)。その日もあちこちから来ている支援の方々の応対に忙しそうでした。井手校長の明るさと行動力が皆を引っ張っていけてるんだなと感じました。
体育館の避難所の中を見るのは無理だと思っていたら、会長のお知り合いがいらして、中を見せていただき、そのお知り合いの方と話が出来ました。1人1畳 夫婦だから2畳。1畳分は段ボールベッドを作っていました。隣の人が家に帰ったから、今は3畳使える。と明るい声。
食事は、朝はおにぎり、昼は菓子パン、夜は弁当。時にはボランティアの方々が炊き出しをされているそうで、列が出来ていました。避難所を帰るときになると、涙ぐんで"来てくれてありがとう"と言われ、私達ももらい泣き。「これから暑くなりますから、お身体に気をつけて、また、6月末に来ます。」とお別れしました。
最後に冨田会長宅へ
玄関に「危険」と張り紙がされていました。
それでも中を見させていただきました。
テレビ、仏壇は3~4m飛んで、大型冷蔵庫は4~5m移動したそうです。
内壁、外壁はヒビが入って、生活できる状況ではありません。
そんな中、私達の為に時間をさいていただき、本当にありがとうございました。
少しでも早い復興をお祈りしています。