佐久間 伸子
中越沖地震に続きまたも関東地方の大水害である。日本列島は災害列
島と化したかと暗澹たる思いがよぎり、思い出されるのは平成2年、
集中豪雨による我が竹田市の大水害である。この日私は講習会を開催
していたが、バケツの底をぶち撒けたような異常な豪雨に急遽閉会し
全員慌ただしく帰宅となったが、已に市街地への道は崩壊、国道に通
じる道は水没しやっと山道を辿って帰宅した時は夕刻であった。街の
1/3は床上浸水、低い住宅地は軒まで水没し、ボートで人を救出す
る事態となった。商業地域は流れてくる流木で大被害を受け、それか
ら立ち直るのに大変な歳月を要した。また、私の姪は家屋と共に濁流
に呑まれ死亡、その家族は約2か月間私の家で暮すこととなった。こ
の災害で得た教訓は「迅速な判断と行動」「日頃の備え」が被害者に
ならず被災を最小限に止めるための大事な要素であり、「地域の連
帯」を強め互に助け合はねば人は元気になって前に進めないと言う事
である。その後、河川改修により、どんな大雨でも全く不安の無い地域となったが、連日出動された
自衛隊や消防団の方々の御苦労は大変なものであった。私達も親戚や知人宅の後片付けに連日通う状
態であった。そして竹田市婦防は、この災害をスタート地点して防火防災に積極的に取り組むクラブ
として動き始めた。県下32クラブ1,993名の中、僅か80名の竹田市婦防ながら、地に足の着いた団
結したクラブとして今後も頑張って参ります。
(消防庁機関紙「消防防災」2007-秋季号(22号)より転載)