日本防火協会では、5月18日に「能登半島地震」の被災地のその後の状況を訪ねてまいりました。
穴水駅で列車を降り、車で輪島市に向かう途中、主要道路沿いでは、自生した藤の紫色の花房が緑
の木々とマッチし素敵な情景が目に優しく感じられ、車窓からは、多くの建物を倒壊させ、山肌を抉
り取り、道路を遮断し集落ごと孤立させるなど、一瞬のうちに平穏な生活を奪い取ったあの大地震が
嘘のように、新緑の木々の美しさが残っていました。
輪島市の中心地では、住宅に被害をもたらしたのは、裏辻通りに面した地区の損傷が大きかったよ
うです。住宅が傾くなど損傷の激しかった建物は既に撤去され、住宅跡が空地となってあちらこちら
で見ることができ、市内の神社では鳥居や石塀が崩落したままの無惨な姿がそのまま残り、そのと
き、子ども達が遊んでいたらと思うと背筋が寒くなる思いを感じました。大きな本通りに面した商店
は、数年前に道路拡張にあわせて、建て替えられるなど比較的新しい建物が多く、被害はさほどでな
かったように見えましたが、商店主に話を聞くと、その時、激しい縦揺れが続いた後に大きな横揺れ
が続き、物というものは部屋中に散乱し、ある家具は倒れある家具は傾き、中の物は床に散乱し、テ
レビや調度品は飛び、障子も破れるなど、それこそ爆弾でも落ちたような状態であったと、その瞬間
のことを話されておりました。
住民の避難はピーク時で二千人を超え、5月3日に全ての避難所が閉鎖されましたが、現在では、
危険度判定で立ち入りを制限されて、自宅に戻れない住民の皆さんは、新たに建設された仮設住宅や
知人宅に身を寄せるなどの不自由な生活を送られております。
輪島市の、山岸地区の仮設住宅で、80歳を過ぎた年配の方にお話をお伺いすることができまし
た。「まさか、この歳になって、今まで経験したことのない大きな地震に遭うとは、この地震で家が
傾き自宅に戻れなくなってしまい、仮設生活は辛く悲しいです。でも、息子と一緒にガンバってます
よ。」と元気に話され、一日も早く自宅での生活が戻るようにと励まし別れました。
一方、被害のひどかった輪島市門前町では、能登地方の唯一の国道249号を走行すると、約100m
間隔に設置されているマンホールが全て突出して、周りをアスファルトで補修したマンホールが次々
に眼に飛び込んできました。
門前町の旧道沿いの商店や住宅の家並みは、災害対策本部によって調査され、応急危険度判定の赤
色や黄色の判定書が張り出され、テープで立ち入りが制限された建物が未だに被災時そのままで残
り、地区の所どころでは住居の跡地が空地となり目立ち、また、重機による撤去作業もいまだに行わ
れております。これらの建築廃材が大きな山となって集積され、その量の多さに被害が甚大であった
ことが、こうした様相からうかがい知ることができました。
震災後二ヶ月、復興・再建にはなお幾多の困難があるものと思いますが、一日も早い地域の再生が
かない、そして能登の人々に穏やかな生活が戻ることを心から願っております。