昨年の新潟県豪雨災害・中越地震から一年が過ぎ、被災地のみなさんは、特に婦人防火クラブや消
防関係者の方々は、あのときをどのように振りかえり、また、どのような思いでいま、毎日をすごさ
れているのでしょう?
現地でのみなさんの声を届けるこのレポートの二回目は、中越地震の被害の非常に大きかった小千
谷市から、小千谷市婦人防火クラブのみなさんの声とまちの様子をお送りします。
*インタビューに応じてくださった、小千谷市婦人防火クラブ、小千谷地域消防本部のみなさん
■危機的状況の中での消防本部・消防団の活動と、婦人防火クラブのきずな 小千谷市内の被害状況 *死因は、倒壊による下敷きで5
名、ショック死で5名、エコノミー
クラス症候群1名、そのほか2名
の、計13名。
死亡(*) 13名 負傷者 785名 全壊 477棟 半壊 866棟 一部損壊 9,306棟
2004年10月23日午後5時56分、すでに暗くなりはじめていた小
千谷の町を、震度6強の激震が揺さぶりました。そして午後6時11
分にも震度6強、6時34分・7時45分には6弱と、たて続けに激しい
揺れが襲っています。小千谷市消防本部の資料によると、小千谷市
内の有感地震は23日に111回、24日に118回、25日も78回となって
おり、市民を恐怖のどん底に陥れ続けたことがわかります。
小千谷地域消防本部は、震源地となった川口町と全村避難となっ
た山古志村も管轄しており、発災直後から本部(配備49人)、川口
出張所(13人)、山古志出張所(8人)で、それぞれ救助・消火活
動に入っています。救急活動は20日間で683件、救助活動は51件にも登っています。特に集落の孤立
による救助は山古志村を入れて、269人が対象となりました。
また小千谷市消防団(8分団・810人)も情報収集や、救出・救助、復旧活動に奔走していること
が、消防本部の記録でわかります。
小千谷市の平成16年3月31日現在の人口は、41,380人・12,348世帯で(住民基本台帳)、被害は
表の通りです。
また、避難所には被災者があふれ、最大136ヶ所に、29,243人と、7割以上の住民が避難していま
したので、その大変さが想像できます。
ライフラインの復旧率も2週後の段階で、ガスが15.2%の、水道は78.1%、電気は32.6%というこ
とで、生活が元に戻るのにも、時間がかかったことがわかります。
このような中で、小千谷市婦人防火クラブでは、自宅での対応はもちろんのこと、地区内での機転
あふれる対応が行われています。小千谷市婦人防火クラブの佐藤笑子会長によると、平時から活動が
活発で、特に、偶然にも発災5日前の10月18日に約40名による新潟市等への市外視察研修を行った直
後であり、また佐藤代表(会長)等3名のクラブ員が前年(平成15年)7月、当協会主催の「全国婦人
防火クラブ市町村幹部研修会」に参加されていたこと等研鑽を積まれておられたことで「結束力や使
命感が培われていた」ということです。
小千谷市役所
婦人防火クラブが炊き出しを行った場所
(市役所庁舎横)
さらに、2004年12月号の防火ネットニュースでもお知らせしているように、関東甲信越の各婦人
防火クラブ員が主体となり、消防関係者と(財)日本防火協会が連携・支援しての、大規模な炊き出
し支援活動も展開しています。クラブ員は、10月31日(日)から11月5日(金)までの6日間、オニギリ
だけでも計6万2千個、1日平均白米650キロ・1万個を握り続けました。そしてこの活動にも、小千谷
市婦人防火クラブ員は、被災者にもかかわらず参加してくれています。
このように、地域とくらしに根ざして活動を地道に続けてきた、被災地の、そして各地の婦人防火
クラブのきずなが、いざというときに大きく発揮されたのです。
※各地の婦人防火クラブの連携による、被災地での活動の様子はこちら
(防火ネットニュース2004年12月号)
■婦人防火クラブの普段の結束力と行動力を最大限に発揮
現在の妙見堰近くの崩落現場の様子 今回の取材では、小千谷地域消防本部に小千谷市婦人防火ク
ラブの佐藤笑子会長はじめ、クラブ員8名が集まってください
ましたが、地震発生当日からのみなさんのご体験は、やはり一
言では語りつくせないものでした。
佐藤会長によると、発災直後は消防本部やクラブ員間の連絡
も途絶え、避難先も同一地区でも、何箇所にも散逸し、停電と
道路の破損等もあり安否確認すら困難な状況にあったそうで
す。
また、お話をうかがうとクラブ員のみなさんの中には、余震
で転んで膝にひびが入った方、車での避難生活がつづき、エコ
ノミー症候群の危険性を医師に指摘された方もいました。そして悲しいことに、お子さんを亡くし、
自らも家屋の下敷きになって重症で入院した方もおいででした。
しかしみなさんは、直後から、それぞれできることをと迅速に対応されています。
あるクラブ員は、自宅にお年寄りを抱えていたため、近所のビニルハウスに避難しているグループ
に一緒に避難させてもらい、そこに必要なものをご近所同士で持ち寄って、直後の一番大変な状況を
乗り越えたそうです。
さらに、佐藤会長の地元である上ノ山地区での、広報活動は注目に値するでしょう。地区では、婦
人防火クラブのメンバーを中心に、普段から熱心なゴミの分別収集活動が行われており、分別を呼び
かけるときは、メンバーが自分の車にスピーカーを設置してそれで地区内を回っていたそうです。そ
こで、被災後すぐから、地域の災害対策本部と連携しつつ地区内に必要な情報を、その車とスピーカ
ーを使って広報し続けたのです。
その内容は、配給の時間や場所 、お風呂に入れる場所と時間、ゴミの分別方法から、医療を受けら
れる場所、下水道を使わないようにとの注意など、多岐にわたっています。
そして広報する際には、人の声が被災者に与える安心感ということをしっ かり意識しながら、ゆっ
くりと丁寧に話し、また、途中で質問されてわからなかった事については、本部に戻ってきちんと情
報を確認してから伝達することを原則としたそうです。
大規模災害時、何より被災者が不安になるのは情報の 不足です。そして、デマは人々の不安をかき
たてたり、無用なトラブルを起こすことも十分に考えられますので、きちんとした情報面での対応が
不可欠です。
ですから、 異常な状態におかれた被災住民にとって、いつもの地域を回っている声が、災害関連情
報を伝えてくれたことは、本当に大きな安心につながったことでしょう。
この婦人防火クラブの広報活動は、そういった大規模災害の特性をしっ かりと踏まえた活動となっ
ており、クラブ員のもつ機動力と、防災に関する普段からの学習・訓練の深まり、そして環境美化へ
の地道な取り組みがみごとに融合した、すばらしい対応であるといえます。
なお、佐藤会長の地元の地区長も、地域内での炊き出しなど、住民の支援 活動を積極的に展開しつ
つ、同時に住民が依存的にならないよう、店舗の再開など地区の状況をみながら活動終了時期をきち
んと見据えていたということです(防火ネットニュース2004年12月号より)。
このようにみなさんのお話からは、住民が自律的に地域の救援・避難対応を行 っていくことの大切
さと、そこでの女性たちの防災力・対応力の重要性が、力強く伝わってきました。
■道路の寸断で孤立した塩谷地区の住民はあのとき・・・!
小千谷市内の塩谷地区は、山間にある約50世帯からなる集落で、塩谷地区婦人防火クラブ(クラブ
員16名)があります。今も避難勧告が出されたままで、多くの住民が仮設住宅で暮らしていますが、
地区クラブ員を代表してお二人が取材に参加してくださり、中越地震当夜の厳しい経験をお話くださ
いました。
お一人の クラブ員は、夕飯の支度中で、ご主人が息子さんを迎えに地区外へ出ていた時に被災して
います。揺れの時間はとても長く感じ、裏に山が迫っているため、山ごと落ちていく感じがしたそう
です。幸いガレキに埋まってはいませんでしたが、娘さんなどの声が外からしたため、携帯電話と懐
中電灯だけをもって脱出。家のすぐ下のバス停にご近所同士で集まっていましたが、家屋の倒壊で埋
まっている住民が何件かあると分かりすぐに救助活動に取り掛かり、このクラブ員さんは、車を移動
させてライトで救助現場を照らすなどの側面支援を行っています。
しかし働き盛りの男性の多くが地区外にでてしまったままで、人 手は少なく救助は難航。情報も無
く、時間も分らない。携帯電話を持っていてもそれを見ようという思考が働かない、といった状態だ
ったそうです。
もう一人のク ラブ員は、地震直後に揺れでガス釜が大きく飛ぶのを見たが、3秒ほどであっという間
に家が崩れてしまったこと。そして、お子さんを一人亡くしてしまったことをお話くださいました。
ご自身もガレキに埋まり、3時間後になんとか救出されましたが、圧迫骨折で数ヶ月入院されたそうで
す。
この間、地区の有志が命がけともいえる状況で山を下り、塩谷地区の被害を伝えに行っています。
このような非常に厳しい状況のままに地区と住民は真っ暗闇の中で一晩孤立して過ごし、翌朝ようや
く自衛隊のヘリコプターにより救助され、東小千谷小学校のグラウンドに避難したのです。
前者のクラブ員さんは、その後も避難所の移動、隣市への一時引越し、そしてお子さんの 学校再開
のため小千谷市内に戻っての自衛隊テントでの避難生活など、厳しい日々を送られています。仮設に
入居できたのは、地震から1ヶ月以上あとの、12月5日でした。
■ 絆Tシャツ ~ 塩谷地区のコミュニティの復興をご支援ください
○離れても、ともに憩える場―「芒種庵」を作ろう
前出の、地震でお子さんを亡くされた塩谷地区婦 人防火クラ
ブ員の星野さんは、現在仮設住宅での避難生活を送っていま
す。そして、地区のくらし・人々の絆を失わないように、集い
の場をつくる計画を実現しようと、悲しみを胸に抱きつつも、
がんばっておられます。
実は、中越地震で住宅 が大きな被害をうけ、今だに避難勧告
が続いている塩谷地区では、転出を決めている世帯が多いそう
です。
そこで「地元を離れた人でも気軽に遊びにこられるように」
と、地区の住民と、当時現地に救援活動に入ったボランティアが協力して、一棟の古民家をつどいの
場として再生させる計画に取り組むこととなりました。
その名は<芒種庵>。
「塩谷に復興の種をま こう」と、種まきの時期を示す24節気の「芒種」から名づけたということで
す。
○絆Tシャツ
この古民家 改修には約300万円がかかる見込みで、今年夏の完成を目指しています。
そして、この改修計画に取り組む住民のみなさんが、費用をあつめることをめざして 、オリジナル
Tシャツを作って販売しています。星野さんはその連絡関係や、この地区復興の取り組みやTシャツ
の存在をひろく知ってもらう努力をされています。
Tシャツは背中に大きく「絆」、左胸に「芒種庵 」と書かれたとても素敵なデザインです。
◇カラーバリエーション |
芒種庵のロゴマーク 三つの点は、この地区で亡くなった、3人のお子さん達を表わしているそうです・・・ |
☆電話によるお問い合わせ先
午前9時~午後5時迄で、お問合せ先は下記で承ります。
(なにぶん素人の為、対応に不備な点も有ろうかと思いますがお許し下さいとのことです)
080‒5008‒5212 関 / 090‒3476‒2258 星野
☆ご注文は、郵便振替でお願い申し上げます。
口座番号と口座名は下記の通りで、通信蘭に「Tシャツ」色・サイズ・枚数を記入して、入金して下
さい。
郵便振替口座:00550‒3‒58233
口座加入者名:芒種庵を作る会
被災者があふれた小千谷市総合体育館で
は、青少年がスポーツに汗をかく
※送料が1口に付き、2枚まで500円かかります、Tシャツ代金と別途忘れずご入金願います。
(郵便 エクスパック500扱い)3枚以上は、宅配便で送料着払いにて発送致します。
■クラブ員の声
それぞれに大変な困難を乗り越えてこられた小千谷市婦人防
火クラブのみなさんに、印象に残ったこと、全国の方に伝えた
いことなどを一言ずつお願いしました。
まずは、一週間以上お風呂に入れずつ らかった、トイレもず
っと使用できず苦労をし、途中でお通じがなくなってしまっ
た、自宅のトイレがあっても、余震で倒壊するのではないかと
恐ろしくて入ることができなかった、お年寄りについては携帯
トイレを持ち出して風呂敷で隠して用を足すようにしてもらっ
た、避難所ではやはりプライバシーを守るのが難しかった、車
中での生活が続き血圧が上昇するとともにエコノミークラス症
候群の危険性があると診断された、といったご自身の切実な苦
労体験が出されました。
そして、時折とはいえ 、余震が長期にわたって続いていたこともあり、気持ちとしてはいまだに落
ち着かないとの声もありました。実際、住宅を補修したり再建しようにも、各地で工事が行われてい
るため職人さんが簡単にはつかまらない状況もあるそうですので、まちも、人々の生活も、再建はま
だ道半ばといったところのようです。
でも、町内の人間関係のよさがあり 、日ごろの声かけなどの蓄積が非常時に生きた、地域密着型の
活動が大切といった、地域に根ざした日ごろの活動の積み重ねがしっかり生きていることがわかりま
す。
ですから、各クラブ員は地震後すぐに、それぞれに主体的に目の前の状況への対応を行っています
し、地区全域をカバーする広報活動など、特記すべきすばらしい活動も展開しています。
さらに、2005年の7月と10月に、避難所で一緒だったもの同士で集まって語り合う場作りも行った
ということですが、被災体験を語り合うことは、心の健康にとって大切なことですので、これも大変
重要な活動です。
なお、山間部は 、携帯電話が通じないと致命的なので、代替できるような方法が考えられないかと
いった提案があり、またお子さんを亡くされたクラブ員は、救急法がどれだけ大切かを多くの人に知
ってほしいと発言されました。
そして、最後にみなさんからは当時の全国からの支援にとても感謝をしていますとのメッセージを
いただきました。
■仮設で二度目の冬を越す被災者、そして、これからも心をあわせて
今回小千谷市を訪ねて、みなさんがこの一年余り、被災生活をもとに戻していくために、たゆまぬ
努力をされてこられたことを強く感じました。
一方で、市内にはまだ仮設住宅に住む人がお り、避難勧告が解除されていない塩谷地区の方々や、
住宅再建の目処が立たない人などが、二度目の冬を仮設住宅の中で越しています(取材時の11月21日
現在で、その数636世帯・2095人)。加えて今年の大雪は、被災地のみなさんには心労の日々である
ことでしょう。
まだ被災者として生活再建という課題を負った人々がいることを、私たち被災地外の市民としても
忘れずに、これからも思いを寄せ続けていきたいものです。
小千谷市内の仮設住宅の様子
小千谷地域消防本部によると、小千谷市ではやはり普段から全体にコミュニティの雰囲気がよく、
特に小さな部落ではまとまりがあるということです。従って、震災直後の混乱の中でも、消防に対す
る苦情や非難はなかったそうで、これは消防に対する小千谷市民の信頼の現われといえるでしょう。
ただやはり避難生活が長期化するなかではいらだちもつのるのか、時間が経つと多少文句もあったと
いうことでした。
また震災後、自主防災組織が震災前の36から、さらに8つ増
えたそうです。地域が防災面での役割を意識しているか否か
で、災害時の地域のうごける幅が大きく違ってきますので、こ
れは地震を超えての大きな成果といえます。
このように小千谷市のみなさん、そして小千谷市婦人防火ク
ラブのみなさんは、人と人とのつながりを大切に、これからも
地域の防災力を高めていかれることでしょう。そしてこれから
もみなさんの経験に、わたしたちはたくさんのことを学ばせて
いただき続けることでしょう。
小千谷市のすべてのみなさまに、心よりエールをお送りした
いと思います。
〔参考〕 小千谷市消防本部および消防団の活動の記録 (小千谷地域消防本部資料より抜粋)
○小千谷地域消防本部の初動期の対応
10/23
17:56 地震発生
17:57 本署及び各出張所は待機車両全車を車庫前に移動
17:59 大規模店舗で発生した多数負傷者事案を始めとして、管内全域に渡る救助救急活動事案に対
応開始
18:05 日勤者、非番職員の集合開始
18:10 建物倒壊による救助活動を開始
18:10 非番職員約15人到着
18:11 小千谷管内、火災出動(誤報)
18:30 川口管内、火災出動
18:35 消防本部庁舎屋外にテントを設定し、指揮本部を設置
18:40 小千谷市災害対策本部設置(消防本部脇テント内、その後市庁舎に移動)
18:57 新潟県広域消防相互応援協定に基づき応援を要請
19:00 指揮本部内に応急救護所を設置
19:00 川口町災害対策本部設置
19:20 県知事から消防庁へ緊急援助隊の派遣要請
21:30 県内応援隊先着隊(五泉・村松消防本部等)到着
22:30 県内応援隊と連携して救急救助活動開始
10/24
2:50 緊急隊先着隊(山形県隊、富山県隊)到着
6:00 山古志村災害対策本部設置
○小千谷市消防団の活動
(10月23日18:35 小千 谷消防団本部設置(消防本部敷地内)~11月6日)
・道路の損壊、家屋の倒壊および土砂崩れ等の被害状況に関する情報収集
・倒壊家屋現場における救出救助活動
・避難勧告及び避難指示地域等におけ る避難誘導及び警戒
・土砂崩れ現場及び道路の崩落現場等における警戒巡視
・緊急消防援助隊車両の道路案内
・小千谷市災害対策本部への情報 提供及び活動内容の確認
・土砂崩れ現場及び崩落現場等における応急処置(土嚢積 み、シート張り)
・防火水槽の漏水調査
・電気復旧時の防火広 報及び火災警戒
○震災時の指揮本部の設定